Nachtmusik440

変な時間に、リアルな夢で目が覚めた。少し寒くなってきたからか、色々悩みが尽きないからか。どこまでが夢なのか、なんでこんな夢を見たのか。

夢と現実を分別し、分析しながらお湯を沸かす。リアルよりもリアリティがある夢ってのは困りものである。日付と曜日を思い出しながら、用事やタスク、ゴミ出しのことを考える。トーストを焼く、顔を洗う、歯を磨く、お湯が沸く。

今、部屋にきちんと珈琲を淹れる装置が無いので、インスタントのものを使う。父が飲んでいた銘柄で、パッケージも僕が子供の頃から大きく変わっていない気がする。父の仕事は朝早くて、僕が起きる頃には家を出ていた。休日だけゆっくり起きてきて、僕が起きてくる頃に珈琲を淹れて飲んでいた。その珈琲の香りと、近くの教会から聞こえてくるトランペットの音が、日曜日を日曜日たらしめてくれていた気がする。

他に父親のことでよく覚えているのは、布団に入ったあと聞こえてくるギターのチューニングの音だ。子守唄というわけでは無いけれど、よくギターを弾きながら小さく歌ってくれた。音叉を膝で打つ、フォークギターの胴体に当てる。順番にハーモニクスを鳴らして、チューニングしていく。今でもそのチューニングの音が頭に染み付いている。儀式めいた音階がとても好きだった。一つ一つ正解の音に近づいていく様子は、無骨な金庫を破る怪盗を思わせた。

人の朝支度の話がなんだか好きで、愛おしいなと思う。朝から綺麗にごはんを盛り付けたり、ランニングしたり、ニュースや株価をチェックしたり、音楽を聴いたり、花瓶の水を入れ替えたり。「雨だからランニングできない」と悲しげに話す人たちがとても可愛い。ひげそりやお化粧している様子をぼんやりと眺めるのも好きだ。コクリコ坂の「朝ごはんの歌」もとても可愛らしかった。朝の日課は楽器のチューニングに似ていると思う。その日1日をどうにかうまく弾きこなすために、できるだけ自分の体をニュートラルに戻すような、手なづけるような、ありたい自分に近づけるような。そういった力学はとても美しいし、きっと正しいし、底抜けに愛らしい。

スタジオジブリ・プロデュース「コクリコ坂から歌集」

スタジオジブリ・プロデュース「コクリコ坂から歌集」

「朝茶は七里帰っても飲め」っていうキュートでハードボイルドなことわざを見つけてから、朝茶が気になっている。そんなにいいものなんだろうか、なにかお茶と一緒に食べるものって決まってるんだろうか。少し前に数人で「最強のシリコンバレー式バターコーヒー」を試してみたけれど、参加者全員が体調を崩してすぐに終わった。僕らには合わなかったので、「最強の京都式野点スタイル」をみつけていきたい。それが自分をチューニングしてくれて、自分を喜ばせるものになれば嬉しい。少し走ったり、少しだけ丁寧に朝ご飯作ってみたりしていきたいとも思っている。思っていることを次の朝までに消してしまうのが僕の脳みその日課だけれど、そこはどうにか話し合いでブレイクしていきたい。もっと健やかなる時間帯に、尺が丁度いい、面白い夢で起こして欲しい旨も陳情しようと思っている。