言葉よりはやく気持ちより熱く夜を照らして消える花火に

「夏を弔いましょう」ということで、スボ手牡丹と長手牡丹という2種類の線香花火で遊ぶことにした。スボとはワラスボのことで、その先端に火薬を付け、香炉に立てて火をつけて遊んでいたものが線香花火の原型らしい。関西地方にはワラが豊富にあったのでスボ手花火が、関東では紙すきの技術が発達したので、ワラの代用品として紙で火薬を包んだものが主流だったそうだ。

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子供の頃から、花火がとても好きだった。火薬の匂い、色とりどりの火花、銃を模した取っ手のついたもの、急に飛び出す落下傘、花火の終了と同時に日本国旗が飛び出す「昇旗」、なんの脈絡もなく鳥かごが出現する「バードケージ」、面白さが難しいヘビ花火、追いかけてくるネズミ花火、海へ行くと落ちているロケット花火。

スタンダードなものから少し珍しいものまで、夢中になって遊んでいたけれど、特に魅了されたのが線香花火だった。花火セットの中に、締めのデザートとして確固たる地位を築いたその佇まい、繊細な美しさ。

「いつか心ゆくまで線香花火を楽しみたい」と思っていた小学生の夏休み、100円で50本の線香花火が売られているのを見つけ、興奮してレジまで持っていた。興奮しすぎて2セット買った。家の車庫で思う存分線香花火を楽しんだものの、一度に一人で遊ぶには過ぎた本数であることに途中から気づき、2本同時に火をつけ大きな火の玉を作ったりしていた。さすがにやりすぎて疲れ果ててしまったけれど、次の夏にはやりたくなる魅力を線香花火は持っている。

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火花の形が刻々と変化する丁寧な作りの線香花火を眺め、最近の悩みを少し聞いてもらいつつ夏を弔った。この子も来年には東京へ行くそうだ。話を聞いてくれる人がどんどんいなくなる。人に話せないことの方が多いし、人に話したってしょうがないとも思うけれど、それでも淋しさはある。僕もいつまでここにいるかはわからない。

会話は花火のように、束の間夜を照らし、温めて、その眩しさだけを焼き付けて夜に落ちていった。

家に着いてから、手に線香の香りが残っていることに気がつく。それを嗅ぎながら、もういなくなってしまった人たちのことを思い返す。「もし女の子が生まれたら私の名前をつけてね」と笑っていた人を思い出した、その名前は思い出せなかった。