何も伝えられなかった僕らにとって。宇多田ヒカル「Fantôme」に寄せて

 店頭でCDを手に取った瞬間、その物理的な重さに驚いた。歌詞カードが分厚くケースがしっかりしている。先行配信されていた3曲から、きっと内容についても重い作品になるのだろうなと思っていた。
 絞られた音数、らしさを感じるメロディのリズム構成、そして一際美しい言葉で綴られた歌詞。ANOHNIとの同時代性を感じる。「人は皆生きてるんじゃなく生かされている」と宇多田ヒカルが歌う。

 小学生の時、クラスのムードメーカーだった男子が自殺未遂をおこした。風呂場で、自分で自分の首を締めて死のうとしたらしい。笑いを「取っていた」のではなく「笑われている」と感じていた彼は、褒め言葉として発された「馬鹿」という言葉にひどく傷つき、辛くて辛くて死にたかったのだという。クラスの誰もがそれに気づけなかった。同じ頃に、クラスメートが交通事故で亡くなった。あまり話したことはなかった。お葬式の後、親御さんに本の形をした消しゴムをもらった。
 中学高校の頃、よく遊んでいた女の子はある日急に死んでしまった。今までの人生で、自らの命を人質に要求を突き付けてくるテロリストは1人や2人じゃなかった。

 ある日、自ら命を絶ってしまう人がいる。未遂だった自殺が今日も世界中に転がっている。事故で急に亡くなってしまう人がいる。残された人たちをたくさん見てきた、僕もその一人だ。そういう人たちに、宇多田ヒカルだから歌える、体のもっと奥底に触れる歌がある。

 僕のヒロインが亡くなってから、もう10年以上経つ。「私は死なないから、君も死なないでね」という約束をくれたその人は、バイクで海へ飛び込んだ。「自殺だったんじゃないか」「いや事故だそんな子ではない」そんな言葉が飛び交った。ブレーキ痕はなかったそうだ。
 破られた約束を、どうにかまだ守っている。約束は船の出発を彩る紙テープのようだ。もうとっくに見えなくなっても、まだ繋がっているような、頼りない線。とっくに切れてしまったテープの片方を、後生大事に握りしめている。あの子の血で染まった海がテープを赤く染めてしまう。これが運命の赤い糸なのか、僕を吊り下げる縄になるのか。

 息も切れ切れにたどり着いた大学時代、素敵な人たちにたくさん出会った。今でも不意に好きな人ができたり、振られたりを繰り返している。ギターをやめようと指を潰しても、入ったサークルでギターを弾くことになったりする。日々は少しずつ傷を塞ぐ。こんな日々を送っていて許されるのかと思ってしまう。満たされた夜を上から俯瞰している自分がいる。ひどく動けなくなる朝や夜がある。
 
 宇多田ヒカルの曲を聞きながら、少しずつあの子のことを思い出した。絵がとても上手だったこと、体感速度の速い乗り物としてバイクに憧れていたこと、後ろに乗せてくれたこと、僕の言葉を聞いてくれたこと、子どもの頃のことを聞いてくれたこと、何度も支えてくれたこと。今も生きていてくれたら、話したいことは山ほどある。伝えたいことがたくさんある。どれだけ一緒に過ごした時間があっても、亡くなった人に対して、何も伝えられなかったと思うんだろうか。もうどんな声だったか忘れてしまった。あの子の本棚にささっていた本を、最近やっと読み始めた。

「生かされている」と常々思う。見ていてくれるあなた方のすぐ側に、スープのような幸せがありますように。すぐ未来にありますように。

あなたはまだゐる其処にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる

私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

高村光太郎 智恵子抄「亡き人に」

あなたが居なくなっても生きる僕を 許せないといったら笑うでしょうか?
僕がいなくても生きていくあなたを 「悲しい」と言ってはいけませんか?

amazarashi「千年幸福論」

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