「マージャンパイは押入れ 背広のうら」

 古道具屋は面白い。誰かが使っていたものや新古品で流れてきたもの、それぞれの来歴に想いを馳せ、妄想し、耳と目を傾けることができる。耳を傾けすぎたせいで置き場所のない椅子や使いどころのない机を買ってしまうのも一興である。そういったものを掴まされてもご安心、古道具屋に売りに行くといい。
 いつだったか、いつものように「丁度いい」何かを探して店内をぶらついていた。人生ってのは、いつだって丁度いい何かを探しているような気がする。その日は古いテーブルに目が留まって、デザインから年代、値段を類推していた時に、引き出しの中からメモを見つけた。

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「マージャンパイは押入れ 背広のうら」

ふと手が止まる。光景がありありと浮かび上がる。

 きっとお年を召した夫婦で、奥さんの文字だ。長い間そこにあった、旦那さんの麻雀牌の場所を移動させたのだろう。次々と幻が浮かび上がる。正解の確かめられない妄想が星座のように連なっていく。かつてよく使われていた麻雀牌は、少しずつ活躍の機会を失ったのだろう。背広もそんなに使われなくなったのではないか。

「マージャンパイは押入れ 背広のうら」

 どうしようもなく彼らの日常が愛おしくなった後、その日常がもう失われたことに気づいて、胸を締め付けられる。

「マージャンパイは押入れ 背広のうら」

 帰路でずっと反芻していた。これはきっと魔法の言葉だ、魔法の言葉は暮らしの中にある。折り重なる日々の祈りの中にある。いつか色を得て、少しずつ失う。傷1つにも物語はあり、僕らはそこに違う光を見出す。勘違いだろうが思い違いだろうが気が違っていようが、その光で救われる夜もある。偶然手にしたひとひらの物語は、僕の帰路を暖かく包んでくれた。